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白紙の手帳

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The Butcher of Ark, Volume 1: Follow the fire/アークの殺人鬼 第1章 火の導きに従って

Buther of the Ark はエンデラルに登場する書籍で、全10巻あります。重要そうな書籍なので和訳をしました。






前書き


私は「殺人鬼」と呼ばれている。

こう書くのはつらいが、世間にとっての真実だと理解している。死体の山を築きながら歩いた男を、ほかにどんな名で呼べばよいのだろうか。しかも事故や戦争で殺したわけではなく、己の意思で殺した結果だ。被害者の内訳は老若男女を問わず、司祭や商人、旅人から売春婦まで多岐に渡る。その無作為性を知ればどんな者の心も氷のような感覚に襲われるだろう。しかしヘラルドは決してその内訳を公に向かって喧伝したりはするまい。ヘラルドと神聖なる秩序の騎士団にとって、私は単なる化け物、道なき悪魔、己の世俗的な渇望のせいで道に迷った者に過ぎない。彼らは私を、邪悪な者、漆黒の夜のような心を持つケダモノと呼ぶだろう。世間は「黒か白か」といったように色で考えたがる。誰も過程と原因を尋ねようとしない。神聖なる秩序の騎士団が出版物を統制下においているので、この書籍の入手さえも、読者には難しいだろう。だからこそ、この書籍を手に取った読者が誰だろうと、私はあなたを歓迎する。この乾いた紙束に、私は自分の考えたことと内省を書きとめるつもりだ。


自分の行為の正当化のために書くのではないと理解してほしい。正当化する気は毛頭ない。私の行いの全責任は私自身にある。また、私はマルファス(彼の人の「神性」は昨今では滅多にみられないようだ)や司法からの許しを望んでいるわけではないし、私たちがいまだ発見していない謎の高位の存在に対して許しを求めているわけでもない。

この書籍は、私自身を形作った、奇妙で不思議な出来事を綴ったに過ぎない。

第1章: 火の導きに従って

けだるく寒いその湿った朝が、私の人生を永遠に変えてしまった。その日の朝は…前夜の祝祭で騒ぎすぎたせいで、母なる自然が夢のような取り留めのない日々を急に取り戻したようだった。祝祭はいわゆる「夏星の夜」と呼ばれる新年を祝う祭りで、夜にはたくさんの火花が空を彩った。市井の者にとって、祭りは世俗的な活動、例えば煙った酒場での飲酒や、その年の最初のひとかきを鋤でいれた場所でダンスをしたり、仮面舞踏会での粋な会話などにふけるための、またとない口実となる。私たちのような司祭にとっての祝祭は、行進や説教、祈りに満ちた夜を意味する。村長の愉快なスピーチを拝聴したのちに、私はこの祭りに祝福を与えた。そして静かに寺院に帰り、膝と舌が疲れるまで祈りを捧げた。まさに聖典に書かれている司祭の義務通りの行いだった。たとえ上級司祭であると、私のような村の素朴な司祭であろうと、その義務は変わらない。

私が勤めていたのはフォグヴィルという村で、常に強風にさらされるエンデラルの最西端の崖の上に位置していた。「フォグ(霧)」の名が示すように、村は毎朝、青白い濃霧に覆われる。まるで夫を亡くした老婦人の顔にかかる哀悼のヴェールように。

あの朝にみた景色を今でも鮮明に覚えている。村の寺院が高台にそびえる一方で、貧しい家々が下方に並んでいた。リュートの演奏の不協和音が終わり、快活な笑い声やコルクの栓を抜く音も消えると、村全体を不気味な沈黙が支配した。冷たい霧のなかでわずかな人影が動く気配が感じられたが、パン屋の煙突でさえまだ眠っていた。生まれ育った村に向かって私はかすかに微笑んだ。私の父(といっても養父だが)は、リネン布にくるまれバスケットの中に眠っている赤ん坊だった私を霧街道近くの祠でみつけたと言っていた。私は捨て子で、そのあと「献身の心を持ち、神の贈り物に感謝した」父に引き取られて、この村の一員になった。しかし父の不慮の死の10年前には、父の親切心は単にマルファス神の像の近くで私をみつけたからという理由であって、心底から子どもを望んでいたわけではなかっただろうという疑念を私は振り払えなくなっていた。

村人は父をギルモン・タンナー、皮なめしのギルモンと呼んだ。ほっそりした鼻を持つあばた顔の、傷つきやすい男だった。父の見解では、世界中の人間が父をいじめており、そのせいで父はみじめな思いをしていた。父とはあまり会話をしなかったが、話すとなれば毎回同じパターンをたどるのだった。大抵は、父がしゃがれ声で私を暖炉のある部屋に呼んだ。その部屋で父はかなりの時間を過ごす習慣があり、机の上にはビールを飲み干したタンカード2杯がよく置いてあったものだ。私がそばに行くと、父は椅子に座るように私を促し、自分の「胸のうち」をさらけ出した。己の言葉に息子しか耳を傾ける者がいないという事実だけでも、父にとってはどれほど酷い人生を送っているかという証だった。私が腰をかけると父は話し出した。「狩人のタルマーが腐った油を売りつけた。邪悪な人殺しめ」と父はタルマーを非難した。「結局、それがエターナの本性なんだ」と父は続けた。「エンデラルではネーリムほど、その事実が知られていないんだ」。別のときには、マトレッサ・ザルヤに苦いワインを注がれた話しだった。「意地悪婆さん」と父は言った。「そうとも、マルファス様のおかげであの婆の計画を見抜き、身の程を思い知らせてやった」。それから、鍛冶屋のラシークの双子の息子たちの話を聞いた。クソガキだ、ふたりとも。俺のような、道に忠実な働き者に敬意を払わない。だけど煤まみれの親子に礼儀なんかわかるわけないよな。「体裁なんか知っている連中か?」と父は興奮気味に言った。「連中ときたら寝台が壊れるまでヤるしか能がない」。ラシークがエンデラル生まれの3代目のキラ系エンデラル人で、故国の複雑な縁戚関係よりも特定の個人との長期間の絆を大事にするタイプだなんて、父はまったくお構いなしだった。

そのような会話と、父の絶え間なく酒臭い息、皮なめし場の乾いてない皮や動物の脂肪の匂いなどが、私の子ども時代の大半を形作っていた。友人がほとんどいなかったのは、私が5歳になると父の言いつけで皮なめし場で働くようになったからだ。今になって思えば、マテル・ピレア司祭が私の機知を見過ごしていたら、今でも私は解体された動物や伸ばされた皮、グリースなどの間で働いていたに違いない。そうなれば、霧の朝のあの出来事は、決して起きなかったかもしれない。しかし彼女は私の機知に気づき、私の道が定められる日に、年老いた司祭は重々しい口調で聖なる道を告げた。汝ヤエル、タンナーの息子は、マルファス様の栄光に司祭として生涯を捧げること。もちろん、その頃の私には意味がわからなかったが、ほかの子どもたちが衝撃を受ける様子をみて、素晴らしい内容なのだと理解した。

かくして私は陰鬱な皮なめし場を離れ、村はずれの実家には眠るときだけ足を踏み入れるようになった。養父にとってこの「誘拐」に等しい事件は、彼に対する反逆行為がひとつ増えただけだった。振り返れば、親切なマテルこそ、我が人生における唯一にして真実の養育者ともいえる。彼女は私に読み書きを教え、司祭には必須のハーブの知識を教えてくれた。彼女は共感と根気強さを持って、エンデラルの聖職者になるための教育を私に与えてくれた。その10年後、私は司祭の資格を得て小さな寺院で働き始めた。従順な司祭がやるべき職務を私は行った。奉仕し、祈りを捧げ、寺院の清掃や修繕をし、村人の告白に耳を傾けた。マテル・ピレア司祭は彼女が道を定められた日から60年目に村を去り、噂でしか聞いたことがない首都の、太陽の聖堂の引退者向けの区域に越していった。その一年後に父が亡くなった。驚いたことに、私は父の死から大いに影響を受けた。そのあとは、あらゆる職務が無気力な繰り返しとなった。あの朝までは・・・・・・。

あの頃の私は幸福な人間だったろうか。私にはわからない。28歳までの人生を思い出そうとしても、その記憶は古い羊皮紙の消えかかった文字のようだ。理性では、それなりに幸運だったと考えられる。司祭の暮らしは快適で安定していたし、貴賎の差もなかった。食事に事欠くこともなく、家もあり、旅の売春婦を時折招く程度の余裕もあった。聖句に照らし合わせれば、人生の終わりに私は永遠の道に入り、己の職務を成就したと知ることになると考えていた。しかし全てが突然に変わった。

衣服を脱いで疲れた体を羊毛の毛布の下に横たえたあとで、私は腹のなかに奇妙な気だるさを感じた。この忘れがたい瞬間こそ、私が「火」に出会った最初だった。小さく弱弱しい煌きだが、たしかにそこにあり、私が別人となって目覚めることを予感させた。しかし、その灰色の朝、私は疲れていたので、その予兆に注意を払わなかった。疲れきって毛布を体に巻きつけ、すぐに寝入ってしまった。

夢のなかで私は目覚めた。

牧歌的な森の空き地だった。緑の樫の木に囲まれており、風が吹くと樫の葉が柔らかに揺れた。夕日は森の向こう側に落ちるところで、炎が溶けたような赤い光を投げかけていた。私は新鮮な空気を吸い込んだ。塗れた苔と朝露、古い秘密と謎、野生的だが清浄、まるで人生そのもののような香りがした。我々が夜の旅と呼ぶ通常の夢とは異なり、私はこの光景が現実の物ではないと十分に認識していた。そこで私はその夢を、時間が過ぎるようなもの、つまり自然現象として受け入れることにした。私は生まれたままの姿だったが、恥ずかしさは感じなかった。私は力強さと清浄さ、そして自由を感じていた。

空から目を離して前方をみると、そこに女性がいた。彼女は古い遺跡のあいだに立っていた。遺跡はツタに覆われ、崩れた壁や弓型の門は遥かな年月を物語っていた。女性は灰色のゆったりとしたローブを身にまとい、その体型から女性であることが微かにわかった。深くかぶったフードの下に、柔らかな頬と顎がわずかにみえた…まるで、キラ人の画家の想像から抜け出たような風情だった。その女性の黒髪は幾筋もの蛇のように編まれ、肩に垂れ下がっていた。様々な品がその髪筋に編みこまれていた。失われた文明で生み出されたような古びた硬貨。我々には未知の動物の小さな骨。美しい模様の描かれたカラフルな珍しいリボン。しかし遺跡の間に立つこのヴェールを被った人物に私が惹きつけられた理由はそれだけではなかった。彼女の微笑だった。一歩近づくごとに、私はその魅力に惹きつけられた。可愛らしい笑顔を想像した読者もいるかもしれないが、彼女の微笑みは憂鬱さと怒り、希望と愛情、私が相容れない感情だと思っていた物たちの複雑な混合物だった。数千人の死を招く命令もできる、偉大な知恵を持つ人物の微笑みだった。異世界の存在を認識した真実から生まれる微笑みだった。私は毛穴から冷や汗が吹き出るのを感じ、至福の瞬間と悟りの時が過ぎ去ったのを感じた。

私はその女性の数歩手前まで来ていたが、まだその不思議な笑顔を飢えた者のようにみつめていた。しばらくのあいだ、彼女の顔をみたように思う。しかしそれもほんの僅かな時間だった。女性は話し始めた。「あなたは死にかけています、ヤエル」 彼女の声はかすれ気味だが、柔らかだった。その声には嘲笑や哀れみ、残虐さは感じられなかった。

「なぜですか」 私は反射的に問いかけていた。「私は健康だったのに」 こうして黄色い紙に書いてみるとなんとも哀れで不器用な返答だったが、私は考えるよりも先に、自身を制御できずに問いかけたのだ。女性はかすかに頷いた。まるで私の問いかけを予測していたようだった。

「あなたは自分を健康だと思っていました」 女性は私の言葉を独特の抑揚で言い換えた。「けれど、あなたはこの世界の複雑さを見過ごしたのです」 女性は、残念そうに、ゆっくりと頭を横に振った。とても簡単な質問なのに見習いが愚かな答えをしたのを聞いた修道院の魔導師のような仕草だった。それから女性は袖の下から手を出して、ついてくるように私に仕草で指示をした。その歩き方さえも別世界のなにかを感じさせた。足を動かしても上半身は動いていなかった。まるで浮いているかのようだ。 黙ったまま従順に、私は彼女のあとについて、遺跡のなかを歩いていった。何千回もあの光景を思い浮かべた今なら、そこが古い交易所だったとわかる。あの壁と錆びた門は疑いようもない。しかしその時には、私は景色の細かい場所にまで気を配らなかった。目の前の人物についていくことだけを考えていた。女性は古びた塔の前で立ち止まった。かつてはその廃墟の中心だったのだろう搭の、老朽化した鉄の扉を女性が開けると、扉は音もなく不気味に開いた。

「行きなさい、ヤエル」 と彼女は告げた。「そして真実を知りなさい」 私がその遺跡に足を踏み込み、身の毛のよだつ発見をする前に聞いた、最後の言葉だった。この幻を視始めたときに持っていた自信が、このとき初めて揺れ動いた。それでもまだ、私の本来の肉体は慎ましやかな部屋のベッドで眠っている、現実世界で、という事実を私は認識していた。それに、この幻が素晴らしかろうと恐ろしかろうと、いつでも目覚めることができるという自信もあった。だが私は目覚めようとはしなかった。その理由がなんだったかは、はっきりとはわからない。好奇心のせいかもしれない。遺跡全体を薄く覆っている超自然的な存在の袖のような、運命的な予感かなにかを感じ取ったせいかもしれない。本当に私には理由がわからなかった。

私は搭に足を踏み入れた。床の冷たさが素足に感じられ、埃っぽい空気は、薄赤い太陽光に彩られながら私の肺を満たすや否や、私を咳き込ませた。部屋の中は、クモの巣や傷んだ家具、壁から剥がれ落ちた石材を除けば、ほとんど空っぽだった。部屋の中央に木製の何かがあった。非常に大きな箱だ。ためらいつつも、私は箱に歩み寄った。何か考えようとしたが、その考えは、現れると同時に消えた。夕日の赤い炎が消え、鈍い青色がとってかわったのに気づいた。穏やかな、茫洋とした霧がかかり始め、私がこの遺跡に足を踏み入れる前に感じた、平穏で祝福されたような感覚ちは、恐怖感と不気味さ、冷徹さと荒廃した感覚に置き換わった。

私は片手を箱の表面にすべらせた。私の身長よりも僅かに高い奇妙な箱だった。木材は腐敗したせいで灰色がかっており、内側から鉄のような奇妙な臭いを漂わせていた。甘く魅惑的であると同時にひどく不快な香りだ。 立ち去れ! その言葉が脳裏にひらめいた。 自分の手でその箱を燃やす前に立ち去れ。 その言葉が誰の思考なのか私には判別がつかなかった。もちろん、私は立ち去らなかった。ゆっくりと箱の片側に手を動かし、蓋を開けようと試みた。ヒンジは造作もなく開き、悲しげな音を立て、私は脳裏にすべりこんださきほどの言葉を思い出した。今回はその言葉は消えず、その恐怖のなかに永遠に留められた。遺跡の中央に置かれていた木製の品は箱ではなかった。それは、棺だった。

今になっても、棺の中の腐乱死体が私をみつめた瞬間の恐ろしさを、どのように言い表していいのかわからない。疑いようもなく、私の目の前にあるのは、自分自身の死体だった。その死体は、茶髪で痩せ型、年齢は28程度。その死体は、切り揃えられた胸までの長さの髭を生やしていた。その髭を生やしたのは自分の地味な面長の顔の形を隠すためだった。その死体の鼻は曲がっていた。私が鏡を覗き込むのを避けていたのは、ハゲタカのような印象を与えるその鼻のせいだった。その上、死者の全身はまるで死の間際のように棺のなかで身をねじっていた。牛のように肩を傾け、狭い棺のなかで頭を肩に押し付けている。その不自然な姿勢は物言わぬ告発だった。死体は体をねじり、両腕を体の前で交差して胸にくっつけていた。いちばんぞっとしたのは、その顔だ。皮膚は青白く、年月を経た墓石のように、緑がかった灰色をしていた。出血はしていなかったが、肉と白い骨があらわになっていた。髭はあちこちに跳ね、絡み合った毛の上をウジが這いまわり、膿をにじませ、ねっとりとした液体を石の床にポトポト落としていた。その男の頬はこけて、裂けた唇はゆがんで開かれ、激痛を受けながらも笑っているような印象を与えていた。その歯は腐り、舌は灰色だった。しかし、私の喉から溢れた、血の凍るような悲鳴の原因は、いま示した情景のどれでもなかった。原因は、その両目だった。というよりも、その人物が健康で生きていた頃は目があった穴、と表したほうが適切かもしれない。

けれど、両目はなくなっていた。青白く薄い白布のようなまぶたが、なんの意味もなく、真黒な穴の上方に垂れ下がっていた。論理的ではないとわかっているが、その両目が私をみつめ、ささやきながら、腐り、死んでいるようにみえた。髭から垂れていたのと同じ、ねっとりとした液体がその空っぽの穴の中に落ちていた。絶対に・・・・・・この形の崩れた亡骸を目にしたときに私を襲った恐怖を表せる言葉は存在しない。

混乱した私は自分の枯れた複製を殴りつけたが、バランスを崩した死体が私に向かって倒れる羽目になった。髭から滴る不快な腐った汁が、私の唇に触れ、器用な数匹のウジが私の肩に着地した。つかの間、私は頭が真っ白になった。自分の死体を、死んだ双子の兄弟のように両腕に抱きとめていた。しかし双子ではなかった。やがて、ウジが私の首筋へ這い上がろうとすると、私は金切り声をあげてウジどもを払い落とし、遺跡の外へと逃げ出した。

一方、外は夜を迎えており、冷たく白い満月が昇っていた。遺跡を覆っていた霧のヴェールは、私が外に駆け出して、地面に膝を突き、激しく嗚咽している間に消えた。 私は死んでしまった。 その言葉が繰り返し脳裏に響いた。 死んでしまった! 私は混乱のあまり叫んだが、自分の心を落ち着かせようと努めた。残っていた恐怖心が全身にまわり、私の両目から苦い涙となってあふれ出していた。 正しき道よ、一体これはどういうことだ。どんな悪夢に私は捉われてしまったのだ。

 私が頬をつねってこの幻から抜け出さなかったのを、不思議に思う読者もいるかもしれない。頬をつまむのは、夢かどうかを確認する方法として有名だ。私がその出来事を幻だと感じていたのなら、その方法を試してもおかしくはなかったはずだ。しかし、私はその方法をとれなかったし、知っていたのだ。私が遭遇したのは静かな夜にみるような通常の悪夢ではない、と。後になって少しずつ理解し始めたことだが、なんらかの存在がなにかを私に見せたがっていた。人が時の流れから逃げ出せないように、人は真実から逃げ出せないとでも言うように。私が床から顔をあげて、どうしようもなくすすり泣きながら石の弓型門と森のほうをみると、あの女性がまた見えた。ヴェールを被った女性だ。彼女は上方に立ち、私を見下ろしていた。その眼差しは同情に近かった。少なくとも私にはそうみえたが、見上げた角度のせいかもしれない。通常よりも深く被ったフードの陰になり、女性の頬より上は判別できなかった。

「何者だ」 私は弱弱しく問いかけた。「黒き守護者にかけて、一体なんだ。悪魔か。死の天使か」 みじめな声は、絶望に駆られた子どもの嘆きのようだった。

「私が何者か尋ねるのですね」 またしても、女性は私の哀れな言葉を繰り返した。「あなたの信じる神に遣わされた黒き天使が、罰しにきたと思っていますね。けれど・・・・・・」 女性のかすれ声に母親のような優しさが加わった。「質問を間違えていますよ、ヤエル。私が何者かは重要ではありません」

しばらくの間、私はその謎めいた返答に反応できず、混乱したまま女性をみつめていた。私は地面にへたりこんだまま、身じろぎもせず、動揺したままの荒い息遣いで、ヴェールの女性をみていた。永遠にも感じられたその時間のあと、私はこれだと思えた質問をようやく口にした。

「では・・・・・・なにが、正しい質問ですか」

しばらくのあいだ、女性の赤い唇が悲しそうに微笑んだように思えた。「あなた自身にしか答えられない質問です」 女性はそう述べて、石の弓型門のほうへ歩き始めた。「けれど助言を差し上げます」 立ち止まった女性は、宵闇のなかで、現実感のない銀色の姿にみえた。「魂の死を避けるための助言です」 しばしの間があった。「偽の人生を終わらせ、火の導きに従いなさい。」

次の瞬間、幻視は砕け散った。

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