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白紙の手帳

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The Butcher of Ark, Volume 2: The Nameless One / アークの殺人鬼 第2章: 無名の者

エンデラルに登場する書籍「The Butcher of Ark, Volume 2: The Nameless One 」の和訳です。




第2章: 無名の者

この本を執筆している現在に至るまで、あの幻の原因と本質は謎のままだ。あの不思議な女性は何者なのか。どのような方法で私の思考に干渉したのか。あるいは彼女は存在しておらず、単に私の思考が作り上げた幻だとか、私の潜在意識が体現された姿なのだろうか。目覚めたあと、そうした疑問が頭のなかを渦巻いた。

しかし、熟考する余裕はあまりなかった。荒い息をしながら汗だくになって目覚めると、なにかが違うことに私は気づいた。狼狽しながら、私は上半身を起こし、燃えるような両まぶたをこすった。部屋を見回すと首筋がひどく痛かった。なんでもない。部屋は完全にいつもどおりだった。もう一度、私は狭い部屋を見回した。重い木製の扉から小さなタンス、部屋の右隅にある書写用の机とその上に乱雑に積まれている厚い本と羊皮紙の山。不安を感じながら、私は両目を閉じて自分自身にそう言い聞かせた。周辺に不快感を感じさせる物は、なにもない。その不快感は私自身から生まれていた。厳密にいえば、その頃の私は知らなかったが、己の腹の中にある奇妙な感覚から生まれていた。これから先に恐ろしいことや、なんらかの挑戦が待ち構えていると知っているときに起きる、鈍く落ち着きのない、沈鬱で掴みどころのない恐怖感に似ていた。それにも関わらず、その感覚は身近なものに感じられた。まるで私の心に這い出る道を探し当てた、長年にわたって己の潜在意識の中に押し込められていた気の滅入る真実のようでもあり、溶けはじめた厚い氷の下で輝く石炭のようでもあった。困ったように、私は両手を自分の腹にあてた。子どものような、反射的な仕草だった。 もちろん、なんの役にも立たなかった。その奇妙なぼんやりとした感覚は消えなかった。

私は目眩を感じながら、筆写用の机の上にある小さな窓を見上げた。永遠のように感じられた幻は、現実では1時間半もなかったようだ。いまだ屋外からの音はせず、光も弱々しく青白かった。淡い灰色の光が差し込んで、空気中の数千粒の埃がゆっくりと舞うのを照らした。不安感だけではなく、私は吐き気も感じていたし、両目に燃えるような感覚もあり、自分が弱っていると感じていた。水・・・・・・水を飲みたい。ゆっくりと、私は水瓶に向かって歩いた。湧き水で満たされた瓶が、重い木製の扉の脇にあった。不安が増すのを感じながら、つかの間、不条理な筋書きを思い描いた。瓶を覗き込んだら水鏡になにが映るだろうか。あの遺跡でみたような腐敗し崩れた顔だろうか。それとも自由意志を持ってはいるが、選択肢を持たず、偶然によって得た生活で暮らす、平凡な顔の男だろうか。私は水瓶から遠ざりたい衝動と戦いながら、その瓶の前に立った。だが杞憂だった。水面に映った顔にはウジ虫など一匹も這っていなかったし、荒れた肌からのぞく肉も骨もみえなかった。ただの夢じゃないか。あれは本当に夢だったのだ。私はかすかに微笑んで、自分のばかさ加減に戸惑い、両手で水をすくって三度飲み干した。それから顔を水で洗い、そのまま体から髪、両腕と両足を水でこすった。 私はイノシシ毛のクシを使って、すこし痛みを感じるまで己の肌をブラッシングした。それからようやく、扉の鉄製のフックにかけてあった茶色の司祭服を着て、疲れたように壁にもたれかかった。マシな気分になったがよくはない。その言葉を何度か頭のなかで繰り返した。悪夢と思われるものの残滓を消そうと試みたものの、望んだ結果は得られなかった。目を閉じるたびに、自分の死体の光景が脳裏を埋め尽くし、私の不安は大きくなった。まるでその夢の意図を強調するかのようだった。私はため息をつき、考え事をするときにいつも行うことをした。つまり、部屋をウロウロしはじめた。

この瞬間をよく覚えている。沈黙がまるで私を抑圧するかのように現れた最初の時だった。荷車の車輪のきしむ音や、パン屋の朗らかな呼び込みの声、ロバのいななきを聞きたくてたまらなかった…。けれども何も聞こえない。静寂が満ち、フォグヴィルをいつも包んでいた風の悲しげな歌声さえ途絶えていた。部屋に差し込む青白い光を眺め、私はターマトラル式の哀悼の儀を思い浮かべていた。棺と・・・・・・死体。それに、ヴェールの女性とあの言葉・・・・・・。火の導きに従って・・・・・・偽りの人生を終わらせなさい。 あの言葉とこの腹の奇妙な感覚には関係があるのだろうか。あんな夢をみた理由は? 一体全体、どんな意味があるのだろうか。私の表情は曇った。偽りの人生?とんでもないたわ言だ。 私は己のために選ばれた「道」に従って生きていた。たとえ、時折は憂鬱な気持ちになり、フォグビルで休息をとる旅人を羨ましがったとしても、私の敬虔な暮らしが「偽り」であるわけではない。むしろ…哀れな父親のそばで、動物の皮にグリースを塗りながら暮らさずに済んで、私は幸運だった。アークのアンダーシティで、一切れのパンのために互いをけん制しあう不幸な境遇にならずに幸運だった。私は両目を強く閉じた。こうした発想こそ、「道」に従順な者にその道を外させる考えだ。「冒険に満ちた生活」なんていう正気の沙汰ではない夢を思い描いた人々が、苦痛でみじめな暮らしに引き込まれるのだ。 私は暗い表情で、フォグヴィルまで時たま届く噂話の数々を思い返した。素直な人々を破滅させるのは、決まって、利己主義者と権力欲を持つ者だった。そうとも・・・・・・私の人生はこれでいい。

「本気なのか、ヤエル?」

私は驚愕した。どういうことだ・・・・・・? その声の出所を探そうとして、私は足早に歩き回った。誰もいない・・・・・・私はひとりだった。では、その声は誰のものだろう。私の想像力の産物に違いない。幻聴を聞いたのだ!あの夢のせいで錯乱しかけている。 自身への怒りを抱え、私は再び歩き始めたが、2歩も進むとまたあの声が聞こえた。今回は声とともに、腹のなかの鈍い感覚が風になびく炎のように燃え上がった。私の意識の中で、イメージと感情が沸き起こった。重く執拗だが、同時に慣れ親しんだものだった。今回のその声には、嘆きと嘲笑が感じられた。

「あとどれくらい真実から目を背けるつもりだ。納得するにはなにが必要なんだ。」

その声を聞いた私は実際に後ずさった。言葉の内容のせいではなく、その言葉が私にもたらした感情のせいだった。思考は飛躍し、私は夢でみなかった情景を思い浮かべた。汗をかいて震えながらベッドに横たわっている自分の姿を私はみた。マテル・ピルサ司祭が「道」の教えの本を音読してくれているあいだ、遠くをみつめていた自分の姿をみた。これらの情景とあわさって、不安と孤独感、恐れが這いよってきた。本能的に私は両手を腹にあてた。正しき「道」よ・・・・・・私は錯乱しかけている!どうしたらいい。本当に正気を失ってしまう! 稲妻のような素早さで私は机に向かった。机の上には革表紙の本が開いたまま置かれていた。それは夏夜の夜の前から私が始めていた「道」の聖典の書写だった。今から50年前には、文章の複製はほとんど魔法のように容易になっていた。とある抜け目ないスターリングの学者が発明した、押し付ける仕草をする奇妙なからくりのおかげだ。そのからくりは構造にちなんで「活版印刷機」と呼ばれていた。その一方で、手書きの書写は現在でも霊的な献身の証とみなされていた。書写は瞑想のような効果をもたらし、気持ちを静めてくれる。それこそ、腹の底から湧き上がる混乱を消してくれそうだった。急いで、私は椅子をひいて、インク壷の蓋を開けて羽ペンを取った。「仕事は精神を解放してくれる」 私は自分にそう言い聞かせた。奇妙な心象の連続が途切れ、それによって引き起こされていた負の感情が減少した事実に私は勇気付けられた。ただの夢じゃないか。それ以上のなんでもない。恐ろしい夢だったが、夢なんて荒唐無稽なものだ。そうとも・・・集中し、数ページの書写をして、詩句を吟じれば亡霊など消えてしまうだろう。棺の中に納まる不気味な死体を思い起こさせるものなど何もないし お前の  明日になれば私はいつもどおりの 無意味な 暮らしに戻れる。きっと常日頃の勤めを果たして、いつか私は平穏に亡くなるだろう、 真実を知ることもなく、無名のまま、大勢の中のひとりとして、誰も、お前を思い出さない、ヤエル・タンナーソン、皮なめしの息子、無名の者    そこまで書いて、私は汗を滴らせる額と痛いほど羽ペンを握り締めている指先に気がついた。 私が書いた文章は、奇妙で間違いだらけだった。私は羽ペンを手放し、あえいだ。 魔術だ。呪文をかけられたに違いない!  私は勢いよく本を閉じ、両目を瞑って、マテル・ピルサ師が教えた方法で頭を冷やそうとした。息をしろ、ヤエル。ゆっくりと。私の全身に震えが走り、手首の脈が飛び上がった。疑いようもなく、その声は私の内側から響いていた。自分の思考の一部であるにも関わらず、その声に親しみは感じられず、悪意を持って潜み、脅迫じみているように聞こえた。「無駄なあがきだ、ヤエル」 その声は唐突にささやいた。 「運命からは逃げられない。偽りの人生を終わらせろ、今すぐに。 そして火の導きに従うんだ」 そして、間をおいてこう続いた。「さもなければ、お前は死ぬ」

その最後の言葉が消えるや否や、私のなかで恐怖が爆発した。恐怖は私の背骨を貫き、体内に入り込み、心臓へ、指先へ、頭蓋骨へ、そして脳を貫いた。そのせいで酷い気分になった。私の人生の無作為な奇妙な記憶が、あの夢の恐ろしい心象を伴って何度も立ち現れた。寺院の長いすの間を目的もなく歩く自分の姿が見えた。エンデラルの伝統に則って、誰かの最後の旅の準備をすすり泣きながらしている自分の姿が見えた。荒い息をして、両目を見開きながら、汗をかいてベッドに横たわる自分の姿が見えた。しかし、どの情景も耐え難いというほどのものではない…。しかしあらゆるものが鉛か灰色の雲に覆われているように感じさせ、そのせいで私は正気を失うのではないかと思えた。私は恐怖と混乱、苦々しい孤独感と侘しさが混じりあうのを感じた。真黒な底なし穴の前に立ち、自分自身を見失ったような感覚に襲われた。私は・・・・・・ひとりぼっちだった。

上記の描写を理解するのが難しい読者もいるかもしれないが、下記の内容が人間の精神構造を理解するのに役立つだろう。愛する者の死のような、痛ましい出来事が起きると、人間の心は一種のショック状態に陥る。ショック状態の人間は、「通常ならこう感じるはずだ」 と自分で思い込んだほんの一握りの感情であれば即座に感じ取れる。そのほかの感情は無意識の奥底にしまわれ、好ましくない、危険な秘密のように葬られる。心がどうにかして元気を取り戻したあと、失われた記憶は少しずつ取り戻され、私たちは悲しみから徐々に立ち直ることができる。なんらかの理由でこの再稼動がうまくいかないと、しまわれた記憶は掘り起こされるまで徐々に腐り膿んでいく。憂鬱な気分になり、混乱状態に陥ったり、感情をまったく感じられなくなったりする。その状態でずっと生きながらえることも可能だが、葬られた記憶がその人物の活力の大部分を奪い去るし、最悪の場合には、その人物を奇妙な行動に走らせることもある。

恐怖心が触手のように私を襲ったのと同時に、私の目にした情景がまさしく上記のような腐敗しつつある記憶だと私は気づいた。それらの記憶はガラスの護りの下の影のなかに潜み、そこに永遠に留められていた。私はすぐさま、そうした記憶はささやかでたいしたことのない思い出だとわかった。真夜中に、どんな夢をみたのかも思い出せないのに、汗をかきながら悪夢で飛び起きた思い出があった。他愛のない職務の合間に頭を離れなくなった小さな無力感の思い出があった。そのようなちょっとした瞬間に、私は霧のような灰色の孤独感に満たされ、自分自身の頑迷なゲームを観察しているような感覚、まるで自分が偽善的な見物者であるかのように感じた。 私の偽りの人生。 私は偽りを生きていた。覆い切れないものを覆い隠そうと必死の努力をしながら、もはや抑えきれない秘密を隠しながら生きていた。今やその偽りは壊れ、私が真実を思い切って探し始めなければ何が起きるか示していた。死だ。 お前は死に向かっている。

しかし洞察することと行動することが間逆のものだとご存知の読者もいるだろう。その声が私に真実をみるように促さずとも、私は以前から真実に気づいていた。 認めたくなかっただけだ。私は呻きながら、筆記用具を机から落とし、椅子を倒して立ち上がった。それから腕に響く痛みを無視して、片手の拳で壁を殴りつけた。私は腹のなかの感覚を消し去ってしまいたかった。そうすれば以前の暮らしに戻れるかもしれない。けれども抵抗はむなしく、混乱状態は1秒ごとに増して私の喉をふさぎ、無慈悲な洪水のように私を飲み込んだ。ようやくかすかに息を吸い込んだときには、すでに私は床の上に座り込んで壁にもたれかかっていた。両手で顔をおおって、へとへとになりながら。無駄なあがきだ。 塩辛い涙が頬を伝うのが感じられた。私は子どものように泣き出した。「どうしたらいいだろう。マルファス様、私の道をお示しください」 私は声に出してみた。その声は弱弱しくてみじめに響いた。

すこしの間、何事も起きなかった。それから再びあの声が聞こえた。その口調は柔らかく、悲しみを思わせた。

「答えを知っているはずだ、ヤエル・・・・・・。あの女性に教わっただろう。」

今回のその声は私の孤独感を高めるような口調ではなかった。むしろ、そのとき私は安心感を得て決断をくだした。そうだ…あの女性は正しかった。自分のすべきことを私は知っていた。ずっと以前から答えを知っていたが、私は駆け出しの兵士のような存在だった。戦争の華々しい物語は単なる作り話だということを、己の片足を実戦で失って死に瀕するまで理解しない駆け出しの兵士のようだった。

私は隠された真実をもっと前に探し始めるべきだった。とはいえ、ヴェールの女性が話してた「火」の意味はまだわからなかった。真実を象徴しているのだろうか。火とは、私の抑えつけてきた虚しさと孤独感の背後にある真実のことで、それがもはや開放されたという意味だろうか。

のちに「アークの殺人鬼」になる、この生まれ変わった男は、その疑問に対する答えがすぐにやってくるとはまだ知らなかった。

~

この決断をした直後の記憶はとてもあやふやだ。幻の本質に気づいたら腹のなかの奇妙な感覚が消えるだろうと思ったのは間違いだった。いいや、その感覚はいまだ残っており、私が荷造りをしながら本当にこれでいいのかと迷うたびに、奇妙な感覚は強くなり存在感を増した。まるで決断力のない生徒を叱る教師のようだった。とはいえ、これまでにない決意を私は感じていた。そのあとの出来事を思えば不条理に感じられるが、私は大いに・・・・・・楽観的な気持ちだった。

必要な荷物を詰めたあとで、私は寺院を、10年以上も暮らした我が家を去った。最後にもう一度だけ私は崇敬の念を抱かせる調度品の数々を振り返った。巨大な鋼鉄製の鎧に覆わたマルファス神の石像は迷いなく前方を見ていた。石像の左手は壊れた鎖の複製を持ち、右手は前方に差し出されて、誇らしそうに力強く、「道」を示していた。最後にもう一度、私は両目を閉じて、寺院の隅々まで広がっているラベンダーとバラの香り、以前なら私に安らぎを与えてくれた香りを吸い込んだ。いまやその香りは不快に感じられ、キレー諸島の住人たちが死者を保存するために使う軟膏が思い出された。私は深呼吸をし、寺院の扉を後手で閉めた。

私の背にかけられた荷物には足りないものがあった。現在の中身は新鮮と思われるエンデラル風堅パン1斤、皮の水筒、チクチクする綿毛布、小さな財布と101の聖句が書かれている書籍で、私が若干ためらいながらも選んだ品々だった。本は重く感じられ、その革表紙は粗く…厄介に見えた。それにも関わらず、敬虔なエンデラル人にとって聖句は精神的な指標でもあるし、私の孤独な人生のなかで聖句はマテル・ピレアを除けば唯一の友でもあったし、ライトボーンへの私の愛情は非常に深かった。確かなことがひとつあった。どこに旅をするにしても、食料と適切な衣服が必要だ。私の司祭のローブは旅をするには重すぎるし、夏に着るには暑過ぎると思われた。それに司祭のローブは心理的な重荷にも感じられた上、これから先のことを考えれば絶対に不適切だった。強盗や山賊以外の旅人なら司祭姿をみれば敬意をもって接してくれるだろうが、そのローブは私のこれまでの生活の象徴だった。

そこで私は祝日でも店を開けてくれそうな商人を探しに市場に向かった。日頃は賑わっている場所に人気がないのは奇妙な気分になった。犬と、街の集会所の壁の奥まった場所に設けられた柵のなかにいる数羽の鶏だけが私の存在に気づいた。その頃には太陽が昇っていたが、灰色の雲が街に注ぐ日差しのほとんどを遮っていた。雨の気配がした。

ようやく目的地に着いた。感じのよい小さな店だった。店の壁はもとよりツタに覆われ、そのツタが乳白色の窓の下のさらに軒下にまで伸びていた。店の前には樽を山と積んだ手押し車が、まるで所有者に放棄されたかのように置かれていた。匂いからして、樽の中身は酒類と火薬、そして揚げた肉のようだった。隣の店との間に吊るされているたくさんの三角形の布地のついた紐飾りは、日差しが出ていればそれぞれの色で鮮やかにきらめくのだろう。歩いていくと、自分が割れた水差しの欠片を何度か踏んだことが音でわかった。重い扉の隣に掲げられた看板には「カルヴァイ雑貨店」と店の名があった。

私は扉をノックした。数秒を置いて再びノックしてみたが反応はなかった。三度目のノックをすると慌てたような足音が聞こえ、髭をきれいに剃ったとがった鼻の年配のスターリングが扉を開けた。店主の疲れた様子からして、私の顔をみるまでは想定外の来客を追い返すつもりだったのだろう。目の下の大きな隈は彼が夏夜の祭を大いに祝ったことを示していた。つかの間、その光景が私にはおかしく思えた。まるで過去に何度も同じことを体験したかのように馴染み深く感じられた。しかし店主が話し始めるとその感覚は消えた。「あのう・・・・・・司祭様・・・・・・」、店主はかすれた声で言った。店主は私のローブを飾る目と剣のシンボルの刺繍を緊張の面持ちでみた。「どんなご用でしょうか」 私は微笑もうとした。「買い物をしたいのですが、中へ入っても構いませんか」 自信に溢れ友好的な自分の声の調子に私は驚いた。カルヴァイという名のスターリングは不安げに私を見て逡巡した。スターリングが常にそうであるように、その店主も小柄だが屈強で、縮れた髪と尖った鼻をしていた。カルヴァイは「道」に忠実な人物だった。毎週行われる三回の礼拝にカルヴァイは必ず自分の大勢の子どもたちを連れて参加していた。それが私のばかげた旅に着るための衣服をこの店で買おうと決めた理由だった。聖職者に対するカルヴァイの尊敬は厚いので、質問攻めにされることはないだろう。カルヴァイは鼻をかきながら、まだ眠たそうな困惑した表情をしていた。その両目は村の司祭がこんな早朝に買い物に来た理由を尋ねたがっていた。けれど彼は献身的に頷いてみせ、私を店のなかへ案内しようと脇へ退いた。

フォグヴィル周辺によくある手狭な土地にも関わらず、彼の店は素朴な居心地のよさが感じられた。店の奥にある広い部屋で暖炉の火が揺れているのが見えた。一瞬だけ、幼い少女が店の玄関脇の階段上の扉をあけて店を覗いたのがみえた。私はこのスターリングの子どもと彼女の兄弟姉妹たちを羨ましく感じた。彼らの父親は子どもらに家と安心感を与えていた。それらは私がギルモンから得れなかったものだった。ピレア司祭が私を庇護下に置いたときには最早手遅れだった。

店の木製の壁は古いが丈夫そうにみえ、海獣の大きな毛皮が左側にかけられていた。控えめに一歩進んだ私は、床にたくさん陳列されている靴のひとつに転びそうになった。背後で扉の閉められる音が聞こえ、カルヴァイが咳払いをした。
「こちらです、司祭様」と店主は言い、さきほど火のはぜる音の聞こえていた奥の広い部屋に向かった。素晴らしい眺めだった。木製のカウンターの背後には、顧客と隔てられた店主の区画が設けられていて、そこに膨大な品々と箱と家具の部品などが積まれていた。壁に沿って設けられた大きな本棚には埃っぽい書籍や呪文の書、水晶や小さな保管庫などがひしめいていた。平凡な外観に似合わず、この店なら貴重な古物がみつけられそうだと思わざるを得なかった。

「それで…どのような品をお探しですか、司祭様」 スターリングはようやく尋ねた。私は答えるのを一瞬ためらった。どのような品が必要なのだろうか。 夢に出てきた謎の女性を探す旅にでようとしていたが、ひょっとしたらエンデラルの国外に行くかもしれない。

「なんというか・・・・・・」 私は切り出した。「長旅の必需品をそろえていただきたい」

スターリングは眉をひそめた。「旅ですと?どちらへ?」 すぐに彼は落ち着きを取り戻した。「差し支えなければで構いません」

「目的地は・・・・・・アークです」 私はとっさに答えた。店主が私の失踪を言いふらすまでの時間稼ぎをしたかった。「上級司祭様に呼ばれまして」 その答えに店主は満足した様子にみえた。

「なるほど・・・・・・」 店主はそう言いながらカウンターの入り口を持ち上げた。「弊店にお越しいただき光栄です」 私は微笑みながら頷き、店主が商品の間を歩き回るのを見守った。

約30分後、私は102ペニーを支払った。私が購入したのは以下の品だ。頑丈なバックパック、良質なブーツ1足、旅人用の頭巾付き外衣、そして使い方は知らなかったが鉄の短剣。カルヴァイは、7つの祠の巡礼者に好まれるという旅人の杖も売ってくれた。「虫を追い払うのに最適です」、彼はそう保証した。別れ際に、私はカルヴァイを祝福し司祭らしく微笑んだ。糧食は宿屋で購入することができた。宿屋の亭主は、寝不足ながらも、祝祭日の名残を勤勉に掃除しているところだった。彼は困惑しながらも私の説明に納得し、おいしいパンの塊と乾燥果物、ささやき草の束を手頃な値段で売ってくれた。日持ちするので旅人に好まれている品々だ。彼もまた私に祝福を頼んだので、わたしは奇妙な心持ちで祝福を授けた。司祭の職務がかつてこれほどまでに場違いに思えたことはなかったし、その儀式は日常の職務というよりも、私に対する偽りのように思えた。

フォグヴィルのある丘から下る前に私が会った最後の人物は衛兵のイリアだった。彼は眠すぎて私の目的地を尋ねるどころではなかった。彼は従順に村の門を開き、私の旅の無事を願ってくれた。フォグヴィルを後にすると、私の心は物悲しい安心感に満たされた。あと数時間もすれば、ヴェールを被った女性に「偽り」と評された自分の人生を終わらせることができる。その日の午後まで私の不在に気づく者はいないだろう。

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