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based on UESP wiki : Lore
マニマルコ
Order of the Black Worm の指導者、アルトマーのリッチである。メイジギルドとは敵対している。虫の王の呼称で知られているが、彼自身につけられた名称なのか、死霊術師の組織の指導者としての肩書きなのかはわからない。第三紀433年ごろ、シロディールのメイジギルドを急襲した。出だしは上手くいったのだが、メイジギルドを壊滅させるには至らず、前アークメイジであるハンニバル・トレイブンの助けを借りた、新米アークメイジに討たれた。
=来歴=
彼の登場する書籍からは、各時代やガレリオンについての貴重な情報が得られる。彼について知られていることは少ないが、以下に箇条書きでまとめる。
・サマーセット諸島で三番目に広い、アルテネウム島で暮らしていた。
・生年は知られていないが、「強大なレマン」が倒れてから230年後に魔術を学んでいたと記述されている。(「虫の王マニマルコ」より) レマン王朝の終焉に伴って第一紀が幕を閉じてから230年経ったということだろう。メイジギルドの起こりが第二紀230年であるから、時期的に一致している。(魔術を学び始める年齢を考慮すると) 20年前の第二紀210年あたりに生まれたとするのが妥当であろう。
・同輩のヴァヌス・ガレリオンと並んで、非常に優秀な生徒だったと記述されている。ガレリオンはのちにメイジギルドを創設した。ガレリオンは「明るく暖かな」心の持ち主と書かれ、マニマルコは「暗く冷たい」心の持ち主と書き残されているのは驚くに値しない。
・まだ勉強をしているうちに、死霊術に手を染め、捉えた魂を利用し始めた。
・やがて死霊術の利用を知られ、セポラの塔の下で、ガレリオンから警告を受けた。この警告をマニマルコは無視した。(セポラの塔はサイジック会が利用していた、いにしえの塔。)
・のちに、マニマルコは師たちのはからいでタムリエル大陸に送られた。記録に残されていない用事があったのかもしれないが、死霊術の利用に対するささやかな罰だったのだろう。
・サイジックの賢者たちのその場しのぎの方法に嫌気がさしたガレリオンは、マニマルコを追い詰めるため、そして新しい組織を作るために、タムリエル本土に渡ることを決意した。
・タムリエル中に悪名が広まり、死霊術師たちがマニマルコの下に集まった。
・最初のリッチになった。(長命の理由。オブリビオンの惨禍が始まった時、マニマルコはおおよそ1130歳である。) あらゆる種族のうちで初めてリッチになった者なのか、人型の生物で初めてリッチになるのに成功したという意味なのかはわからない。リッチになったことで肉体と精神を失い、生ける屍となった。血が酸に変わった事に加えて、ありとあらゆるおぞましい事が彼に起きた。
・メイジギルドのことを、派閥争いと捻じれた官僚主義に陥った「泥沼」だと言って、ガレリオンはメイジギルドを去った。
・The Great Battleと呼ばれる戦いで、ガレリオンはマニマルコを攻撃した。この時、マニマルコは「虫の王」の名で呼ばれたと言われている。通り名は確かにあったが、この時期には、この名称とは異なる可能性がある。
・マニマルコは恐ろしい死の呪文を唱えたが、魔術の発動は失敗した。戦いはギルド側の勝利に終わった。ガレリオンを含む約1,000名が戦死し、マニマルコも死んだと思われた。
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